人はなぜ購入するのだろう

私の相棒、もとい執行役員がエアロビクスやヨガにチャレンジするそうです。彼も身体の衰えに抗って新たなチャレンジをしているようで喜ばしいなと思っています。

私の方と言えば、目下のチャレンジはコミュニケーション、特に視野を広げることで、これはネットサーフィンしていても身に付きませんので、とにかく人と会って、人と話し、刺激をもらうということを黙々と繰り返しています。痛いことも時には言われますが、言われるうちが花かなと思い、一旦は言葉を受け止めて、一人になってからその言葉を反芻する毎日を送っています。

最近ふと考えるのは、人はなぜ購入するのだろうということです。購入行動は一方で手元のお金を失うわけですから、それだけを考えると不合理な行動です。自分が苦労して得たお金を失うわけですから、不安や恐怖の感情が伴うこともあるでしょう。そうした負の感情を振り切って自ら手元のお金を手放す、購入と呼ばれる不合理な行動はそもそも何だろうと。

それでは私たちがお金を失って代わりに何を手に入れるのかと考えると、個人で言えば肉や野菜といった食料品がすぐに浮かびます。衣食住と言われる生活必需品を買っていることが多いですが、ワクワクする遊園地に行くにもお金を払います。会社で言えば、仕入費や人件費や家賃や電気代など、事業継続に必要なものにお金を払っていることが多いですが、見込顧客と出会うためのマーケティング活動にもお金を払います。これらを考えると、人であれ、会社であれ、自分のより良い未来を願って、お金を使っているのだろうなと思います。つまり購入行動を通して、人は未来を買っているのだと思います。

お金が価値の尺度(ものさし)だと考えると、失うお金は過去の価値、それと引き換えに手に入れるモノやサービスは未来の価値、と考えられます。人は過去と未来を天秤に掛けて、過去の自分より未来の自分が良くなることを願って、手元のお金を差し出しているのです。

翻って会社で考えてみると、仕入原価や経費は過去の価値、それと引き換えに手に入れる売上は未来の価値になると思います。未来の価値と過去の価値の差分が付加価値だと考えると、付加価値の分だけ、会社は明るい未来を創ったと言えます。

付加価値、つまり利益が多ければ多いほど、人々の明るい未来を創ったのだと考えると、利益は社会貢献の証だと言えますし、利益は多ければ多いほど社会の発展に大きく貢献したと言えるのではないでしょうか。

そんなふうに自問自答しますが、金儲けは悪であるという価値観に押されて、利益は社会貢献の証であるという考え方がまだ腹落ちしません。私の頭の堅さにも困ったものですね。