ゼロサムゲーム的な会話をやめる
苛烈な受験戦争を戦ってきた世代ですので、会話は基本的にマウントの取り合いでした。相手が何かの話をすると、自分はもっと凄いよと言いたくなるのですね。マウントを取りにいくのは悪い癖だと自覚していましたが、子供の頃からそうなので、なかなか抜けないです。
最近は少しだけですが、そういうマウントの取り合いのような会話を少なくしています。マウントを取らないので、必然的に「だよね」「うんうん」「わかる」とか、そういう軽い頷き的な反応が多くなりました。以前のようなアドレナリンが出るような熱い会話にならないのが物足りないですが、相手がリラックスして長く会話を続けてくれることが多いので、こういう会話もアリだなと思っています。
こういう二種類の会話をしていて思うのは、マウントを取りに行く会話はゼロサムゲーム的、つまり自分は優越感を手に入れ、相手に劣等感を負わせる会話だったなと。そして「だよね」的な会話は、ノンサムゲーム的、つまり自分は優越感も劣等感もない、フラットな会話だなと。
マウントを取りに行く会話は、この年になってまだ優越感が欲しいのかと蔑まれそうですし、とはいえ全くないと裏で何を考えているかわからないと言われそうで、バランスが難しいです。もともとマウントを取りに行く会話が多めなので、できるだけ少なくしてちょうどよいかなと思っています。
「だよね」的な会話はノンサムゲーム的で何も得られないかと思いきや、そんなこともなく、相手がリラックスしてくれたり共感してくれる効果があるようです。自分もそういう相手の様子を見て、多少は満足したりします。そういう意味で「だよね」的な会話も有用だなと思っています。
先日、負けたことが悔しくて、自分のテニスラケットを折った人の話を聞きました。これって、自分の劣等感をテニスラケットにぶつけようとしたのだと思いますが、そんなので気持ちは晴れないし、自分のラケットを買いなおさないといけないから、余計にブルーになりますよね。自分の優越感や劣等感をコントロールするって大事だなと思いました。